「億万長者ランキングのトップ10にビル・ゲイツって人がいるけど、彼が作った会社って何か知ってますか?」
ふとした時にこういう風に話を振ると50%の人は答えられません。ビル・ゲイツが作った会社はマイクロソフトというのは有名な話です が、興味がない人には興味が無いのでしょう。
「マイクロソフト社を作ったのはビル・ゲイツともう一人共同創業者がいますが知っていますか?」
「また、マイクロソフト社といえばビル・ゲイツと同級生で有名な社長さんがいましたが知っていましたか?」
このような話を振っても答えられない人はやはりいます。それも無理はありません。
しかしながら、これから会社を経営したりチームを作ったり、フリーランスで働いていきたいという方はもしかしたら、知っておいたほうが良いかもしれません。
なぜなら、マイクロソフトが今の企業になるためには必要な存在だからです。
今回はマイクロソフト社が成功できた二人の立役者である、ポール・アレンとスティーブ・バルマーについてご紹介します。
マイクロソフトの共同創業者ビルゲイツとポールアレンは中学からの同級生
共同創業者のポール・アレンは中学からの同級生だったそうです。
アメリカでは名門校と言われているレイクサイド中学・高校でビル・ゲイツと同級生でした。
ビル・ゲイツとポール・アレンはライバルみたいな関係だった
レイクサイドスクール(中学・高校)の特筆すべき点は、当時としては画期的なタイムシェアリングシステムを搭載したコンピューターを導入していたこと。
簡単に言えば今のパソコンやスマホのような形態のものをどこの中学・高校よりも早く導入していた点です。
レイクサイドスクールには最先端のパソコンがあり、ビル・ゲイツとポール・アレンは夢中になってパソコンを触りまくりました。
また、ポール・アレンとビル・ゲイツは一緒になってプログラミングのグループを立ち上げたと言われています。
一方で、両者はライバル関係にもあり、どちらのほうが早くプログラミングを打てるのか?といったことを競い合っていたそうです。
ポール・アレンは卒業後Microsoftの原型となるビジネスモデルを作成
ポール・アレンは学生時代を謳歌している際に、マイクロソフト社の原型となるビジネスモデルを作り上げます。
マイクロソフト社の原型となるビジネスモデルのアイデアを温めながら、ポール・アレンは大学を中退してプログラマーとして就職をします。
ビル・ゲイツは卒業後起業→ハーバード大学へ進学
一方のビル・ゲイツはレイクサイドスクールを卒業後、すでにコンピュータを作る会社の起業を経験しています。
コンピュータを作る会社の起業は上手くいっていたのですが、1972年にハーバード大学に入り直したと言われています。
ポール・アレンがビル・ゲイツを説得→マイクロソフト起業
二人はポール・アレンが在籍していたプログラミングの会社で再会します。
その後、ポール・アレンがビル・ゲイツを説得してマイクロソフト社が創業されます。
この時ポール・アレンがビル・ゲイツと出会っていなければ、もしかしたら今日のマイクロソフト社は無いのかもしれませんね…。
ポールアレンはインターフェイス・ハードウェア担当として、ビル・ゲイツはソフトウェア担当として、開発を行っていたそうです。(開発は二人で行っています)
ポール・アレンはアイデアマンとして営業を行い、ビル・ゲイツが実務を行い交渉事などは行います。
ポール・アレンが出した案をビル・ゲイツが成立させていくというスタイルでこの起業は成功していきます。
ビルゲイツを説得して、マイクロソフト社を立ち上げ、IBMからのオファーをこなしたりとするが、1983年に病気だと診断(後に誤診だと判明するが)され、マイクロソフト社から退社。しかし、マイクロソフト社には1990年に復帰し、2000年に再び退社している。
ポール・アレンが語るビル・ゲイツの人柄は正反対
ポール・アレンが、ビル・ゲイツの人柄を下記のように語っている一説がありました。
彼は、二六五キロも離れたシアトルとバンクーバーの間を、二時間以内で走れると自慢していた。夜中に愛車のマスタングで出発し、猛スピードで突っ走るのだ。私なら命の危険を感じてしまうところだが、ビルはそれが楽しいようだった。
ちなみに、ビル・ゲイツはチェスでいきなりキレだしたりするらしい。
一方のポール・アレンは、事前に戦略を立てる、几帳面な性格だと言われています。
正反対な二人が融合して出来た会社がマイクロソフト社という会社なのです。
ビルゲイツ・ポールアレンの後に合流「スティーブ・バルマーは同じ寮生」
マイクロソフト社が大企業になるには技術以外に何が必要なのでしょうか?
それは、会社経営です。経営が出来なければ、企業は大きくなっていきません。
会社経営に興味がないビル・ゲイツとポール・アレン
ポール・アレンもビル・ゲイツも技術的なことは大好きですが、経営的なことは苦手というか全く興味がありません。
1980年代前半にマイクロソフトIBMからのオファーが入り開発をしていきますが、ポール・アレンもビル・ゲイツも開発はできますが、人が足らない。人を雇ったら事務作業もあるということに気付きます。
会社の経営については元々興味のない分野の二人ですから、経営は大変だったのでしょう。
経営が大変だということでビル・ゲイツはハーバード大学時代に同じ寮に住んでいた、経営に興味があり優秀なクラスメイトである、スティーブ・バルマーに支援を仰ぎます。そこからスティーブ・バルマーとの関係性が始まります。
スティーブ・バルマーは経営が大好きだった
スティーブ・バルマーはスポーツ万能でありながら文武両道を志、アメリカの大学入試試験では数学800満点という非常に優秀な成績をあげてハーバード大学に入学します。
スティーブ・バルマーは父親も元々フォードのマネージャーであり、経営に興味がありました。同じ寮に住んでいたビル・ゲイツはプログラミングという全く逆分野ではありましたが、二人の相性は良かったそうです。
P&G→MBA勉強→マイクロソフト社入社
大学在学中もスティーブ・バルマーは超優秀で、卒業後はP&G(プロクター&ギャンブル)で働きます。
P&Gで2年働いた後でスタンフォード大学でMBA取得を目指して勉強家を開始します。その時の夏休みにビル・ゲイツから支援を仰がれます。年収500万円と7%の株を渡すから、そのままマイクロソフトで働いて欲しいと懇願され、マイクロソフト社に入社します。スタンフォード大学にはその後戻らなかったそうです。
マイクロソフト社に入社した時には30番目の社員だったそうでした。
技術者肌のゲイツとは対照的な、経営のアドバイザー的な役割を果たした友いわれています。
スティーブ・バルマーは経営に関してはスゴ腕を持っていました。
その一つがストックオプションを生み出すこと。
労働者を長く会社に留まらせるには会社の株を渡すことだと考えストックオプションを生み出し、会社の業績が上がるほど従業員にメリットがあるような仕組みを作り上げました。
ストックオプションを生み出し、社員を長くとどまらせることに成功しましたが、注目スべきはそのストックオプションによって億万長者になったマイクロソフト社の社員が1万人を超えていることです。ビックリです。
入社当時はビル。ゲイツに反対して社員の増員をしています。
「いまが会社の攻め時だ」として、従業員の給与を下げて、当時30人しかいない会社に社員を17人増員を提案したりと、積極的に活動していたのです。
ビル・ゲイツは2008年に会長へなり、後任CEOがスティーブ・バルマーになりました。
ビル・ゲイツ、ポール・アレン、スティーブ・バルマーから学ぶ長期的に成功するチームとは?
いまでも大成功しているマイクロソフトは、中学校の同級生と、大学の寮生とともに創業された会社です。
- 性格的に正反対の人が関わっている
- チームを作っている
という面が見て取れます。
マイクロソフト社の初期は正反対の人々が在籍していました。
- ポール・アレン:戦略家・アイデアマン・ハードウェア・インターフェイス
- ビル・ゲイツ:実務家・ソフトウェア
- スティーブ・バルマー:経営者
正反対の人々が在籍することにより得意分野が異なります。得意分野がことなることにより、それぞれの強みが生かされるのです。
自分とは違う正反対の方をチームに引き込むことによって、チームの生産力は格段に増強される良い例だと思います。
マイクロソフトもチームを作ることによって、長期的な成長を遂げました。
チームを作るとは一人では成し遂げられないことも達成することができるのです。
これから起業される方もチームを作る方も是非参考にされると良いのではないかなと思います。
スティーブ・ジョブズとビル・ゲイツの関係は下記を参照