書評「読書は格闘技」無批判に受け入れる読書の時間は無駄な時間?

5.0
読書は格闘技

「本の読み方について迷っている」

「何か良い本はないかな?」

そういった方にお勧めなのが、今回紹介する読書は格闘技です。

読書は格闘技では、さまざまな分野の良書が取り上げられています。

あえて違う主張の本を2つ取り上げることで、一つ一つの本の主張を明確にし、自分の頭で思考しながら読むことの重要性を説明した本です。

読書とは自分の思考を進化させるために行う行動であり、必要なのは批判的に読むことです。批判的に読むことにより自分の意見と著者の意見を戦わせることで、自分の思考を進化させることができるからです。

この本を、ただのブックガイドとして読むのはおすすめしません。

なぜなら、この本はブックガイドという形式をとりながら、本を批判的に読む方法や、実際に比較・検討する方法について具体的に説明しているからです。

今回は、読書は格闘技より、自分の頭で考えながら読書基本スタンスについて解説します。

「読書は格闘技」あらすじ

武器となる読書術、読むべき書を呈示する、知的実践の書。<「読書は格闘技」という考え方に立つと、「良書」の定義も変わってくる。普通、良書というと、書いてあることが正しいものであり、正しい考え方であると思われる。しかしながら、書いてあることに賛成できなくても、それが批判するに値するほど、一つの立場として主張、根拠が伴っていれば、それは良書と言える。私は筋金入りの資本主義者であるが、そうした立場からしてもマルクスは読むに値する「良書」と言えるのだ>。心をつかむ、組織論、グローバリゼーション、時間管理術、どこに住むか、才能、マーケティング、未来、正義、国語教育の文学等々、今を生き抜くために知っておくべきテーマについて、立場の異なる「良書」を能動的に読み、自らの考えを新たに形成していく。格闘技としての読書体験を通じた、実践的な力が身に付く読書術とは何か。各テーマにおける必読の推奨ブックリストも収録。

引用:Amazon

スポンサーリンク

読書とは自分の思考と著者の思考を戦わせること

瀧本さんは、「読書は格闘技」というタイトルの通り、読書とは自分の思考を形作るために、著書の考えと自分の考えを戦わせる行動だとしています。

自分の今の考え方と、著者の考え方を戦わせて、自分の考え方を進化させるために読むというぐらいの気持ちで臨むと良いのだ

読書をする基本スタイルとして、無批判で受け入れる人が多いかなとも思います。

実際に私もこの本を読むまでは、無批判に受け入れて「なるほど」っと関心をするばかりでしたが、それは自分の考えを進化させるという意味ではNGなのです。

無批判に受け入れることについてドイツの哲学者ショウペンハウエルを引用し、下記のように述べています。

ドイツの哲学者ショウペンハウエルはその著『読書について』で、読書に対して、とても皮肉に満ちた批判をしている。いわく、「読書は、他人にものを考えてもらうことである。/一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失って行く」という主張で、たくさん読書することは、他人の考え方を自分に流し込むだけで、それでは、自分の頭で考える時間を減らしてしまうというのだ。

多読に費やす勤勉な人間は次第に自分でものを考える力を失っていく。これは、インスタグラムやTwitterで読了ツイートをするばかりで、自分の頭で考えたことを述べていない人、万人に言えるのではないでしょうか。

読書は格闘技を読むと、読書はファッションではないことが良くわかります。

読書は格闘技は「人生を変えた本」に警鐘を鳴らす

読書は格闘技の中で、著者は一冊の本との出会いで人生が変わる的なものも否定しています。

なぜなら、「人生を変えた」と語られる本は主張が極端すぎるので、それだけに依拠するのは危険だからです。

こういう主張に依拠して実際に行動してしまうのはよくある話でして、例えば「会社を辞めて好きなことをして生きていこう」という主張があるとします。これだけに依拠して会社を辞めた結果零細フリーランスになって生きている人を多く見ています。

彼らは自由な時間が多いと言って人生を謳歌しているように見えますが、お金がないため、家族を養うことができず、40代になっても、10代や20代のフリーターのような生活をしています。

そういった暮らし自体を否定するわけではないですし、自分で考えた結果として暮らしているのであれば別に良いでしょう。しかし、一つの本に依拠した結果、のちのち後悔するのだけは避けたいところですね。

1冊の本で人生が変わる出会いなどありません。もしもあると考えるのであれば、自分の頭で考えずに無批判に著者の思考を受け入れているにすぎません。

自分の思考は議論を重ねることで、進化していくので、批判的に比較検討する読み方をすべきなのです。

読書は格闘技が勧めている本の読み方「比較・検討」

読書は格闘技で、進められている本の読み方比較・検討です。本の構成も一つの本を取り上げて要約を記載し、本の主張は反対の主張をしている本を紹介し、二つの本を比較検討しています。

例えば、心をつかむという章では、「人を動かす」と「影響力の武器」を比較・検討して紹介しています。

影響力の武器という科学的に証明された本と、人を動かすという著者の体験ベースで書かれた本の2つを引用することで、その違いを明確にし、比較検討しつつ、自分の思考を創り出していくという訳です。

自分の思考を作るうえで批判は非常に重要です。例えば、「人を動かす」と「影響力の武器」を無批判で読めば、対立している箇所があった場合に、どちらの主張を取るべきかわからなくなってしまいます。

大体、批判しないで本を読んだ場合は、前に読んだ本の内容を忘れます。

自分の行動に両方の本の内容を反映させることができず、読書した時間が無駄になるのです。

批判したら本を読む意味がないと考えるあなたへ

「著者の意見を批判して読むのって本読む意味なくない?著者の意見を受け入れなかったら学ぶことができないじゃん」と考えている人っていませんか?

もしも、そのように考えているなら、それは間違いです。批判することによってこそ、自分の思考と著者の思考の違いが明確になり、著者が真に意味していることが分かるからです。

本書の中では批判をするとは書いてあっても、受け入れないとは書いてありません。また、本の解釈については下記のように述べています。

本と格闘するときには、その本を最悪の形で理解して批判するのではなく、一番良い意義を持つように善意に解釈した上で読むべきだと思う。

つまり、批判ばかりに気を取られて、最悪の形で解釈をしてこきおろしたら意味がないという訳です。

一番良い意味となるように「きっとこういうことを言っているに違いない」という善意の解釈でもって、批判することにより、良い意見VS自分の意見となるので、自分の思考を作るのに効果が高いという訳です。

読書だけすれば良いのか?体験の方が価値がある

読書は新しい知識や情報が学べるので、面白いですが、読書しているだけでは、じつは価値がありません。なぜなら、読書よりも体験の方が価値があるからです。

読書をすれば、だれかが体験したことを疑似体験できます。しかし、書物に記載されていないことは読書をしても学びようがありません。

一方で、体験であれば、書物に書いてないことを学ぶことができます。つまり、書物には限界があるが、体験には限界がないのです。

本書の中で引用されているショウペンハウエルの「読書について」でも、学者とは書物を読破した人であり、思想家、天才とは人類の蒙をひらき、その前進を促す者で、世界という書物を直接読破した人と言われています

つまり、体験によって新しい新しい知識や思考を学ぶことの方が大切だというのです。

では、読書によって考え方を学ぶのはNGなのかというとそういう訳でもありません。なぜなら、体験で物事をすべて学ぼうとするのは、非常に非効率であり、読書によって、先人が学んだ内容を効率的に学べるからです。

例えば、先日した「影響力の武器」を読めば、他人を動かすのに必要な行動のエッセンスが学べるでしょう。これを体験で学ぼうとすると、恐ろしく時間がかかってしまうでしょう。

つまり、整理すると下記の通りになります。

  • 読書:先人が学んだ知恵と情報を効率的に学ぶ
  • 体験:新しい思考を学ぶ

読書と体験を通じて、より自分の思考を進化させることができるのです。

読書は格闘技「著者の意見と激論を交わそう」

読書を格闘技から読書の方法について解説をしましたが、その内容は下記のとおりです。

  • 読書とは自分の思考と著者の思考を戦わせること
  • 人生を変えた本という幻想を捨てよう
  • 読書の基本スタイルは比較・検討

比較・検討する際に、一番良い解釈を持ち比較・検討するようにしましょう。良い意見VSあなたの意見を戦わせることにより、あなたの意見をさらに進化させることが可能だからです。

以上、書評「読書は格闘技」無批判に受け入れる読書の時間は無駄な時間?

最後まで読んでいただきありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました