2018年12月23日は平成天皇の最後の誕生日でした
天皇の誕生日は一般参賀として、国民が天皇陛下とお会いできる機会があります。
2018年の今年は平成天皇最後の誕生日ということで多くの方がご来場されました。
平成天皇として最後の誕生日の言葉が男として、徳を感じ、妻を思いやり、最高にカッコよかったです。
目次
平成天皇最後の誕生日の言葉とは?
平成天皇陛下の平成最後の誕生日の動画は下記になります。
16分という会見でした。
会見の中にもあるように、
即位以来日本国憲法の象徴として望ましいあり方を求め、その勤めてを行い、今日を過ごしてきた。
ということで、国家の象徴として、多くの苦悩や悩みなどがありながらもあり方を考えて過ごされているのだなということがわかります。
会見の中では、下記についても言及されていました。
- 国民全体
- 自然災害に見舞われた方
- 沖縄の方々
- 外国に住む日系の方・外国人労働者
- 皇后様
平成は自然災害が多い年であった
今年の天災について語られ、国民の生活の基盤が失われたことに言及されています。
思えば、平成30年は集中豪雨や地震などの自然災害が多く、多くの方の生活が変わってしまった年ですね。
昭和34年に伊勢湾台風に訪れたのが、初めての被災地訪問だったそうです。
平成には数多くの災害がありました。
- 平成3年の雲仙・普賢岳の噴火
- 平成5年の北海道南西沖地震と津波被害
- 平成7年の阪神淡路大震災
- 平成23年の東日本大震災
平成は平和になると思いきや…
- 第二次世界大戦後の国際社会は、
- 東西の冷戦構造
- 平成元年の秋にベルリンの壁の崩壊
- 冷戦が終焉
そして、国際社会は平和な時を迎えると希望を持ち即位した。
しかし、
- 民族紛争
- 宗教対立
- テロにより多くの犠牲者が生まれる
- 多数の難民も苦難の日々を送る
といったこともあり、日本は戦争が起こらずに平和でしたが、世界はそんなことはありませんでした。
激動の日々を送る平成天皇陛下
天皇陛下は日本の象徴である天皇として激動の日々を送り続けました。
- 終戦を11歳で迎え、
- 28歳の時に成年式
- サンフランシスコ平和条約を発行し、国際社会への復帰を遂げ、各国大公使を迎えた
- 29歳 エルザベス女王二世の戴冠式に参列する(その前後半年に渡り世界各国を訪問)
戦後の日本に返還された島や戦争での各国の慰霊にも訪問しています。
また、障害者スポーツの振興にも勤めてきたそうです。
障害者のスポーツはヨーロッパでリハビリとして始まったものだったが、障害者自身がスポーツを楽しみ、見る人も楽しむスポーツであることを願ってきた。
海外移住が始まって150年の日本。今度は受け入れる番
16分の平成最後の誕生日の会見にて、外国人の方々についてのお話もありました。
海外に移住が始まって150年。各国にいくたびに日系の人に合うようにしてきたそうです。
逆に、近年では、多くの外国人が日本で働くようになっています。
日系の人たちが社会の一員になっているのと同様に、外国人労働者の方々も社会の一員として暖かく迎えられて欲しいと願っているそうです。
外国からの訪問者も年々増えている。訪問者の方々が日本との親交に寄与してくれたら良いですよね。
結婚60年を迎える妻である皇后様へのメッセージが最強にカッコ良い
天皇陛下は生まれた時からかなり特殊な環境で育っていて、多くの悩みを抱えていたと言います。
このような暮らしは皇太子にどのような影を落としたのでしょうか。高校生の頃の友人から見た11項の「殿下の悩み」が取り上げられています。
1.監禁されていること。即ち自由に解放されないこと。
2.独り暮らしで、肉親または同地位の者と居を同じくしないこと。
3.見物的な気分で見られること。
4.ジャーナリストに嘘を書かれること。
5.世間体をいつも考えなければならないこと。
6.夫人に接する機会が僅少なこと。
7.理想を持てないこと。
8.皇嗣の必然として、自分の姉妹のように将来における自由の保証がなく、かえって束縛されることが多くなること。
9.過大視されること。
10.生活が単調になるに伴って、自分の生活が自分にとってつらくなること。
11.友または外部の者との交友関係に関すること。
(中略)
同級生相手に「世襲の職業はいやなものだね」、あるいは「一生、結婚できないのかもしれない」と嘆じていた皇太子を変えたのは「正田美智子との出会い」でした。皇太子は「家庭を持つまでは絶対死んではいけないと思った」とも漏らされていたそうです。“孤”の中で生きてきた皇太子の熱い想いを感じ取れます。
この美智子妃との結婚によって皇太子はひとつ理想(夢)をかなえることができました。そしてその上に立ってさらなる理想、あり得べき皇室(天皇像)の姿を求めるようになったように思えます。美智子妃との結婚後の皇太子の活動は「理想を持てないこと」と級友に評された姿と打って変わった、「理想の皇室」を実現しようとしたものでした。沖縄訪問、慰霊のための戦跡訪問、被災地の訪問……等々は、その実践だったのです。
皇后様の出会いにより、天皇陛下の中で多くのことが変化しました。
それを踏まえての、動画における下記のセリフはなんとまぁ…シビれますよね。
自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います。
60年間一緒に連れ添って、苦労をかけたという労いの言葉です…。妻に対してこのタイミングで感謝の気持ちを語れるなんて最高にカッコ良いですよね。
以上、平成最後の天皇の誕生日の天皇の会見がカッコよかった件でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。