ポルトガル出身のサッカー指導者で、異なる2チームを世界最高峰と言われる欧州王者に導いた監督であり、監督としてイングランド・イタリア・スペインのリーグ戦を制覇、そしてプレミアリーグとセリアAの国内カップ戦の優勝を成し遂げた人といえば誰でしょうか?
それは、サッカーファンであれば知らない人はいない。『ジョゼ・モウリーニョ』監督です。
結果だけ見ると華々しい経歴がありますが、その背後では実は絶え間ない苦労があったそうです。
モウリーニョ監督が監督にあるまでの経歴
モウリーニョ監督の選手生活はポルトガルから始まった
父親は元ポルトガルのゴールキーパーである。モウリーニョ自体もポルトガルのユース代表に選出されたこともあるが、故障により早々に選手生活を引退しています。
モウリーニョ監督は通訳としてボビー・ロブソン監督に認められる
リスボンで体育教師として働きながら、ユースチームの指導者やスカウト、コーチとして働いたのち、通訳を行った。この通訳も指導者の道を目指している時に語学を勉強。その語学でボビー・ロブソン監督に認められて通訳としてスタッフ入りを果たす。
その後、ボビーロブソン監督に厚い信頼を得て、FCポルトやバルセロナというビッグクラブで通訳として働いていた。
名門バルセロナでモウリーニョのアシスタントコーチ時代がスタート
ボビーロブソン監督に厚く信頼されてスタッフ入りをしていたが、ボビーロブソン監督がバルセロナを去ってもバルセロナにい続け、そのままアシスタントコーチを経験した。
ジョゼ・モウリーニョ監督の自伝によると、彼は、37歳頃でバルセロナのコーチを辞め、監督になると決めたそうです。この頃には、バルセロナでコーチとして過ごすことは安泰だったそうですが、彼には『監督になる』という大きな志がありました。
モウリーニョ監督がポルトガルのクラブの監督になるまで…
次のステップは監督と決めていましたが、実際に監督としてのオファーがなく、監督就任が決まっていない中でバルセロナのアシスタントコーチを辞めてしまいました。
その間、勿論給料が入らない中で生活が苦しくなることが予想されます。その頃には結婚もして子供もいたそうですが、彼は職を探しをすることは行いませんでした。
職を探してない時に彼がやったことは、試合のビデオを見て、自分の監督になった際にどういうことをするのか考えることでした。つまり、彼は、監督以外にやるつもりがなかったのです。
ポルトガル時代にベンフィカを立て直す
その後、モウリーニョは不調だったクラブである古豪ベンフィカの監督に就任します。しかし、これはたまたま彼にオファーが来ただけだったそうで、結果がでなければすぐに変えられてしまうような話だったそうです。
結果として彼は8試合しか指揮をとりませんでしたが、ライバルチームを3-0で破る快勝を収めるなど、良い成績を抑えました。
その後、リーグ中位のクラブをリーグ4位の好成績にわずか1年で導きます。
ベンフィカからポルトに引き抜かれ三冠を達成勝
その結果を買われ名門クラブであるFCポルトに引き抜かれ、低迷していたクラブをリーグ3位にまで浮上させます。
翌年ポルトは三冠を達成します。ここからモウリーニョは指導者として国際的に注目されます。
さらに、翌年にはFCポルトをUEFAチャンピオンズリーグで優勝させることになります。
モウリーニョ監督のチェルシー・インテル・スペイン時代
チェルシー時代はプレミアリーグ三連覇も経営陣と対立
チェルシーではプレミアリーグを3連覇したが、主力が相次いで怪我をしたことで補強をしようとしたモウリーニョと経営陣が対立。
その年は結果がでなかったこともあり、契約解除になる。
インテルでは再び3冠を達成
チェルシー退団後は各国からクラブの打診を受けるがインテルに所属する。インテルではカップ戦とリーグ優勝に二冠を達成。翌年は、チャンピオンズリーグ優勝の三冠を獲得。そして辞任を発表し、レアル・マドリードへ移籍して、その翌年にはリーグ優勝を果たす。そして、チェルシーに再び復帰をするが、2003年以来では初めて無冠に終わってしまう。
復帰2年目では、5度目のリーグ優勝を果たし、二冠を達成し復活する。しかし、3年目のシーズンでは、大苦戦し、結果を出せずに成績不振が理由で解任される。
そして、2016年からはモウリーニョはマンU→レアルと契約している
モウリーニョ監督が偉業を成し遂げられた理由
確かにジョゼ・モウリーニョ監督には運があったのかもしれないですし、才能があったのかもしれませんが、運だけでは説明できない何かがなければ、ここまでの圧倒的な結果を出すことができません。
彼から学べることは、意志の強さとイメージ力の大切さです。
『自分は監督になるんだ』と決めてからは監督以外の職業を探そうとせずに、監督になった時のことを考えて無給で生活が苦しいにも関わらずサッカーの試合のビデオを見て研究していたこと。
そして、自分はこうなるというイメージを常に持ち続けていたことは私たちも学べることでしょう。
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